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今日は、久しぶり終日OFFで、来年の薪をとりに山へ。
運動不足のたるんだ体からは、汗がふきだす。 山の斜面でチェンソーを振り回すのは、全身の筋肉を使うので、いい運動です。
この20M や30Mを超える大きな木は、約50年程かけて育った木だそうです。この山も、地主から「倒木や山崩れの恐れがあるので木を切ってくれ」と依頼されて伐採をしています。田舎の山には、このような50年以上、手が行き届かない荒れ放題の山ばかりです。 なぜ50年前かというと、50年前はちょうど伊勢湾台風の後、実は石油が新しいエネルギーとして使われるようになった時期なのです。
石油がない時代のエネルギーといえば、薪であり炭でした。 昔あるところに・・・爺さんは山へ薪を拾いに・・・の時代です。 その当時は、斧で木を切っている人がいれば、村の衆が集まってきて先っちょの細い小枝まで綺麗に持ち帰ったそうです。持ち帰って、炭にして寒い冬に暖をとり、毎日の食事と風呂の湯を沸かしていました。 言わば、現在の石油であり電気であり、生きていくうえで必ず必要なものだった。 そうして、木が切られた後の山では、風が通り日が当たり手入れされた山からは、若い木々が育ち動物たちの食料となる実をつけ、人も含めた自然の循環が成り立っていた、そんな丁寧な時代でした。
それから50年が経過した今、山の木を切る人がいなくなり、山は荒れ果てた。 ひとたび集中豪雨が来れば、去年の夏のように山が崩れ、下流の川が氾濫し、自然災害ではなく人工災害を引き起こす。 食料がなくなった動物たちは、民家の畑まで下りてくるようになった。 あたりを見渡すと、ほぼ50年間手入れされていない山々ばかりになってきた。 去年のような山崩れは、今年からも頻繁に起こるようになるのは、目に見えています。 下流の川を、コンクリートで囲ったって、その下で氾濫するだけ。 罠を仕掛けて猪を数匹捕まえて殺したところで、何の解決にもならない。 そろそろ未来を見据えて、限界に近づいた山を、皆で考え行動する時が来たように思います。
そうそう、家もそうです。 こんなに近くにたくさんの木があるのに、外国の安い木で家を作ってる場合じゃないです。 多少お金がかかっても、地元で育った木で家を作る事で、家は長持ちするし、山の仕事が生まれ、そして山が甦る・・・。僕にもできることは、いっぱいある。
そんなことを考えながら、今日は一日いい仕事をした。
珈琲を頂きながら休憩していたら、下手くそな鶯の鳴き声がした。 もう春が来た、早く来年の薪を集めねば。
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家に関わる仕事をしている人(設計者や営業の人)には、「こんな家が暮らしやすくていいですよ」とか「こんな家が楽しいですよ」という様々な理念や思いや提案があります。もちろん、そこに暮らす家族や土地や予算や目的によって、いろんな答えがあります。 しかし、その最もリアルな答えは、言葉や活字ではなく、またその人が作ってきた作品でもなく、本人が暮らしている家にその答えはあると思う。 この本を見ながら、そう思いました。
例えば、車関係の人が乗っている車、料理人が普段食べているご飯、お医者さんが自分に使う薬、新聞記者が読んでいる記事、保険会社の人が加入している保険・・・など、もちろん好みの問題は多いにありますが、言葉や活字よりも、理屈抜きでリアルですよね。
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昨日は一日梅田でKGFセミナーに参加して、今日は朝から京阪で出町柳へ出て、叡山電鉄で一乗寺へ。
行こう行こうと思ってなかなか行けず、やっと学生の時以来約10年ぶりに、この町に戻ってきました。 当時は、下町のような懐かしい雰囲気がのこる、このざわざわした町で下宿するのに憧れてました。結局、引っ越しは失敗しましたが、よくバイクにのって遊びに来ました。 ここに来た目的は、久しぶりにあの本屋さんに行きたかったから。 なんとか昔のあいまいな記憶でたどり着いたその本屋さんの名前は「恵文社」。 昔と変わらず並んでいる本はグッドチョイスで、少々興奮。 そういえば、先日の宮脇さんの本に初めて出会ったのもこのお店、今でも大切に手前の本棚にある本のいくつかはここで買った本たちです。 当時は、一日ここで建築関係の本を立ち読みしては、「いつか作る自分の家はどんな家にしようか」と時間を忘れて読み漁っていたことが懐かしい。 大学では建築とは違う学科を専攻していたので、10年後にまさか建築の仕事ができるとは想像していなかったけど、今思うと建築を仕事にしようと思い始めたきっかけの一つはこの本屋だったんだなと気付きました。
そう思うと、当時を思い出してもっともっと仕事を楽しもうという気が湧いてきました。
一冊気に入った本を買って、次にバイクのカスタムによく通ったお店を探したのですが無くなったのか見つからず、しょうがないので天下一品の本店でならんでこってりラーメン。ぶらぶら懐かしい商店街を覗きながら歩いて、最後に名曲喫茶 柳月堂 でViolin Sonata No. 9 (Beethoven)をリクエスト、気分良く帰ろうとレジまでいったら、なんと今度来た時にリクエストしようと思っていたViolin Concerto (Brahms)が流れてきて慌てて席に戻って、結局4時間いりびたり。 なんか得した気分の一日でした。
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最近、岐阜県の木造住宅耐震診断事業に関わり、診断士として町内の木造住宅のお宅に数件伺い、耐震診断を行ってきました。
診断はあるソフトを使用して行います。まず、現況の平面図をおこして床下・天井裏を確認、部屋の中をうろうろ、外をうろうろして、家に帰ってプログラムに従いデータを入力すると、ソフトが数値的に計算するものなのです。ソフトが計算するので、私の感覚からはかなり乖離する診断結果が出た住宅が多かったです。基本的には、大地震が発生したときに、人が逃げる時間を確保する「人命救助」を目的としており、当然この結果がすべてではありません。
今回診断した住宅の中で印象に残った2つの家がありました。ともに大正から昭和初期にかけて建てられた家で、外壁は鉄板で覆われていましたが、外見からは想像もできないほどしっかりした鴨居造りの家で、100年弱の年月が経過しても、ほとんど狂いもなく堂々とした構えの家でした。材料も今では、考えられないほど良質な素材が使われており、一歩足を土間に踏み入れた瞬間に、凛とした空気をまとっていて、框を超えて座敷に上がると床には一本の椿が飾られ、まるで昔の空気がそのままが流れているようで、まさに家は生き続けていると感じました。2軒とも家主はお年寄りで、先代が建てられたこの家を、必死で守られている姿に、頭が下がる思いでした。
「この家を残したい・・・」と強く強く思いました。
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今日は、風が強いです。気密性の少ない私の家は、どこからでも風が通り抜け、建具やガラス戸がすごい音で揺れます。床下から風が通る音が聞こえます。天井からチリが落ちてきます。家がきしんでいる感じがします。
部屋にいるのに、髪の毛はもちろん揺れます。強いブローが入ると、デスク上の図面が吹き飛びます。不思議な感覚になります。
現在、気密性がない家は、エアコン(暖房)の温度を強くしないといけないので、電気の消費量が増え、地球によくない、エコじゃないといわれてます。そういうこともあって、最近は温度調整が楽で高気密高断熱の家は常識です。確かに快適です。
しかし、それは良いことばかりかというと、悪いこともあります。たとえば、家の素材に風が通りづらいということ。 窓を開ければ家の中を風が通るという話ではなく、柱や梁や壁など木や土などに空気が触れていない(素材が窒息状態)という話です。
私の家は、築100年を過ぎましたが15年ほど前に白アリの被害にあい、その部分の柱や梁・土台をやり直しました。 もちろんその部分は、40年ほど前に祖父がその当時の新建材と呼ばれた化学製品で改装した部分です。寒かったので、断熱をしたんだと思います。とても快適になったと思いますが、30年もたずにまた作り直すことになりました。 もちろん今回の改装では、新建材(化学製品やサッシ)を使わず、すべて木と土だけで筋かいもなし、昔の姿に戻しました。
私の地域(八百津)は山奥の田舎なので、風通しの良い家では夏にクーラーは要りません。 そのかわり冬の灯油代はかさみます。私の家でひと冬6万円ほどです。炬燵もありますが、1年でならすとそんなに光熱費が高いわけではないと思います。 そんなことより、私の経験から思うことは、柱や壁を新建材で覆い窒息状態の高気密高断熱の家を作っては、30年ごとに壊すほうが、どう考えても地球に悪くお金のかかる話です。 おそらく40年前の新建材と現在の新建材は、そんなに変わらないと思います。新建材はいつまでたっても新建材。 昔から新建材に変わることのない、ヒノキの柱と土壁を超えることはないと思います。
昔の人たちの家(伝統的工法の家)は、本当に自然に逆らわず、良く考えられた家だなと、最近よく思います。 地域にあった素材で、家族が長く使える間取りで、とにかく良く持つ家です。 むき出しのヒノキの柱は今もなお強度が高まっていると思います。 土壁・漆喰も石のようになりました。 使い込まれて手入れがされた無垢の木は日に日に味が増しているようです。 こういうことは、家の素材(木や土など)が空気や水気を吸ったり吐いたりして生き続けているからです。
悪いことといえば、ホント・・冬寒いことぐらいじゃないかな・・・。 冬【12月→2月の3ヶ月間】温かく暮らす方法を考える。
あともうひとつ、次の大きな地震が来たときに、いったい何が起きるのか?
いつも仕事の時は、そんなことを悩みながら、お客さんのことを想いながら、設計をしています。
私の家の場合、季節に従おう!とはいえ、少々体を張りすぎな「ので・・・、あまり参考にはなりません。ただ自分の家なので、家族のクレームに怯むことなく、家族の暮らしと自分のしたい暮らしとこの場所・地域に合った家に近づけるよう設計し続けたいと思います。
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寒い中を娘が、切干大根を作ってました。 ザルに広げて天日干しや日陰干しをした大根は、太陽光を浴び風に吹かれることで、なぜか味が深まって(?)美味しくなります。 子供たちも好きなので、すすんでお手伝い。
春の七草ですが、 久しぶりに図鑑を持って外に草を探しに行ってきました。 芹(せり) は見つからず、御形(ごぎょう)はわかりませんでしたが、 ! 。 びっくりしたことに、薺(なずな・ペンペン草)と、繁縷(はこべ)と、仏の座(ほとけのざ)は見つけました。 多分生えてきたのは、ここ2・3日じゃないかなとおもいます・・・。
あまりの正確さに、偶然なのか、旧暦が正しいのか戸惑ってしまいます・・・。(ただの雑草に見えますが・・・)
春の七草は旧暦の1月7日に行っていた行事。ちなみ旧暦の1月7日を新暦でみると、今年は2月9日(明日)、去年は2月20日、来年は1月29日です。新暦の1月7日を旧暦でみると、今年は12月4日、去年は11月23日、来年は12月17日です。 当たり前の事ですが、新暦の1月7日に天然の春の七草はありません。 店頭に並んでいるのは、季節を無視したビニールハウスの七草ということになります。 季節を無視したビニールハウスで育った植物で、季節の行事をするということは、なんとややこしいことでしょうか・・・。もし昔の人が見たら、季節になればほっといても勝手に家の近くから生えてくる雑草を、わざわざ季節外れに人工栽培で作って食べてる人たちをみて、どうなんでしょう。 (御節の後に七草とも言われますが)
こういうことは、どちらが常識なのかどうかわかりません。 季節や自然を無視した新暦で暮らしている以上は、どうでもいいことですが、知っているのと知らないのの差は、とても大きいと感じます。 そして何よりも、旧暦(昔の暮らし)はすごい。
1年が354日で19年に7回どこかの月に閏月を入れて1年を384日とする旧暦に比べると、1年が365日で4年に1年だけ決まって2月29日を入れるだけの新暦は、とにかく楽。もちろん常識は新暦。
食材の場合、 季節に合わせて薬を使わず手間かけるよりも、ビニールハウスで季節を管理して、必要な栄養を計算して化学肥料を投与し邪魔な草は薬で排除すれば、とにかく楽。常識的に、見た目がきれいな野菜は、おいしい。
家の場合、木を刻んで組んで土を塗って手間がかかる昔の家よりも、機械で加工した柱と計算された金具と壁をドリルで固定し、部屋をビニールクロスで覆って隠しちゃうのが、楽。 常識的で言う快適(エコ)な家とは、魔法瓶のように気密性を高めて夏と冬に温度調整をする季節感のないビニールハウス。
こう考えると、楽をするということは人工的に周りの環境・自然を作ろうとすること。その反対は、周りの環境・自然に従うということ。
前者はとにかく楽で計算が簡単なので、行くとこまで行くでしょう、おそらく日本全体がビニールハウス、で世界同一規格。 後者は、手間がかかり計算が難しいので今後もますます姿を消すでしょう、そして風土や地域性というものは必要とされず、なくなちゃうかもしれない。
そして、昔の常識は忘れ去られ、新しい常識が作られていく。 しかしながら、季節はずっと変わらない。
私も新暦の楽な生活をしています。 ただ、できる限り季節に従い自然の一部となって、旧暦で暮らしたいと思う今日この頃です。
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今日は旧1月3日。 山の上に、三日月。 旧暦で今年最初に目にしたお月さま。 (PM6)
旧暦ではもうすぐ五節句の一つ、人日の節句(七草の日)。昔は正月の御節で疲れた胃を休め、無病息災を祈って食べたそうです。七草を調べてみると、 芹(せり) 薺(なずな・ペンペン草) 御形(ごぎょう) 繁縷(はこべ) 仏の座(ほとけのざ) 菘(かぶ) 蘿蔔(だいこん) 、ほとんど雑草。 食べたいとは思いませんが、今のように温室栽培のない昔に毎年行われていた行事という事は、毎年(旧暦1月7日)この季節に、この雑草たちは生えていたとい事。
ちょっと早いような気がするが、明日は田や畔や畑を見に行こう。もし、本当にあったら・・・季節は昔と変わっていないということだ。
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今日は、旧暦の元旦。 新暦になる少し昔は、日本もアジアの国と同じように、今日新年を迎えていたんですよね。
昔は、こういう日にお正月をしてたんだと思いながら、一日をバタバタすごしました。
昔は、立春が春節の前に来るのか・後に来るのかによって、その年の季節を見たそうです。
今年は、明日(旧1月2日)が立春、新年立春。来年も、旧1月13日となり遅い立春、来年は閏3月が入るので、再来年は旧12月24日となって年内立春です。ちなみに去年は旧12月21日だったので、今年は前年比12日遅れの立春、春が遅れて冬がのびた。
今日は少し、田んぼや畑や庭の植物の様子を観察しました。良く見ると、気付かない間に、緑の雑草が生えていました。半年ぶりに、庭の草抜きです。
今年も旧暦をみながら、どんな季節をみることができるか楽しみです。
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無農薬の稲藁 (ややこしく言うと、除草剤を使わずに育てたお米を、自然乾燥させて収穫する時に出る副産物)。
最近、お米の山田さんより、名古屋の左官屋さんが無農薬の藁を探しているとの話しがありました。詳しい内容は、土に無農薬の藁を入れて建物の壁とし、居住空間を作るワークショップに使用するとのこと。 このワークショップは、山梨でされるそうでちょっと遠いですが、私の藁が家の材料になるということは大変嬉しいことです。
稲藁は昔の暮らしの中で、木舞や苆として日本家屋に使われ畳・茣蓙・莚・藁布団としても使われ、衣としては、笠や蓑、草鞋、深沓、他にもいろんな藁製品や、家畜の飼料や燃料など・・・なくてはならないものでした。今は、ガソリンやビニールやプラスチックなどの原料である石油にとってかわり、藁の需要はほとんどありません。無農薬の藁は、一部のこだわっている方には少し需要があるようです。お米を除草剤を使わずに天日干しする人が、少ないということだと思います。
昔は当たり前の事ですが、自分で育てた無農薬のお米を食べ、その稲の藁で作った家で暮らすことが、今ではいい遊びです。
しかし、藁が山梨の家までいくという事は、山梨より遠くに家を設計しないと、設計の仕事が藁に負けてしまう・・・。
ということなので
全国どこでも行きます、設計の依頼は水野設計室まで。 もれなく無農薬の藁使いたい放題!!(笑)
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