寒い中を娘が、切干大根を作ってました。 ザルに広げて天日干しや日陰干しをした大根は、太陽光を浴び風に吹かれることで、なぜか味が深まって(?)美味しくなります。 子供たちも好きなので、すすんでお手伝い。
春の七草ですが、 久しぶりに図鑑を持って外に草を探しに行ってきました。 芹(せり) は見つからず、御形(ごぎょう)はわかりませんでしたが、 ! 。 びっくりしたことに、薺(なずな・ペンペン草)と、繁縷(はこべ)と、仏の座(ほとけのざ)は見つけました。 多分生えてきたのは、ここ2・3日じゃないかなとおもいます・・・。
あまりの正確さに、偶然なのか、旧暦が正しいのか戸惑ってしまいます・・・。(ただの雑草に見えますが・・・)
春の七草は旧暦の1月7日に行っていた行事。ちなみ旧暦の1月7日を新暦でみると、今年は2月9日(明日)、去年は2月20日、来年は1月29日です。新暦の1月7日を旧暦でみると、今年は12月4日、去年は11月23日、来年は12月17日です。 当たり前の事ですが、新暦の1月7日に天然の春の七草はありません。 店頭に並んでいるのは、季節を無視したビニールハウスの七草ということになります。 季節を無視したビニールハウスで育った植物で、季節の行事をするということは、なんとややこしいことでしょうか・・・。もし昔の人が見たら、季節になればほっといても勝手に家の近くから生えてくる雑草を、わざわざ季節外れに人工栽培で作って食べてる人たちをみて、どうなんでしょう。 (御節の後に七草とも言われますが)
こういうことは、どちらが常識なのかどうかわかりません。 季節や自然を無視した新暦で暮らしている以上は、どうでもいいことですが、知っているのと知らないのの差は、とても大きいと感じます。 そして何よりも、旧暦(昔の暮らし)はすごい。
1年が354日で19年に7回どこかの月に閏月を入れて1年を384日とする旧暦に比べると、1年が365日で4年に1年だけ決まって2月29日を入れるだけの新暦は、とにかく楽。もちろん常識は新暦。
食材の場合、 季節に合わせて薬を使わず手間かけるよりも、ビニールハウスで季節を管理して、必要な栄養を計算して化学肥料を投与し邪魔な草は薬で排除すれば、とにかく楽。常識的に、見た目がきれいな野菜は、おいしい。
家の場合、木を刻んで組んで土を塗って手間がかかる昔の家よりも、機械で加工した柱と計算された金具と壁をドリルで固定し、部屋をビニールクロスで覆って隠しちゃうのが、楽。 常識的で言う快適(エコ)な家とは、魔法瓶のように気密性を高めて夏と冬に温度調整をする季節感のないビニールハウス。
こう考えると、楽をするということは人工的に周りの環境・自然を作ろうとすること。その反対は、周りの環境・自然に従うということ。
前者はとにかく楽で計算が簡単なので、行くとこまで行くでしょう、おそらく日本全体がビニールハウス、で世界同一規格。 後者は、手間がかかり計算が難しいので今後もますます姿を消すでしょう、そして風土や地域性というものは必要とされず、なくなちゃうかもしれない。
そして、昔の常識は忘れ去られ、新しい常識が作られていく。 しかしながら、季節はずっと変わらない。
私も新暦の楽な生活をしています。 ただ、できる限り季節に従い自然の一部となって、旧暦で暮らしたいと思う今日この頃です。
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