GREEN SQUARE も、昨日が仕事納め。 現場では、中庭となる 75㎡ の土間が姿を現す。
普通の住宅では、考えられない天井高と大スパン。生産ラインを確保するために、敷地いっぱい南に寄って建つこの工場。
いつも図面を描くときは、この大空間のパフォーマンスをいかに引き出すか、そして東と南の採光をいかに確保するかがテーマだった。
既設の状態はよく、特に大きな問題はなし。 新築ではないので、頭で考えた通りにすんなりいくとは限りません。
年明けに、屋根の撤去と基礎、壁天井が終われば、一気に内装に突入、そして春には完成してしまう。後れを取らないよう年初の定例会議までに、もう一度図面と工程を頭に詰め込んで、現場を見ながら気になる箇所・私の意図を細かく書き出さなきゃ。
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私たちとお客様の検査が終わり、 役所の検査も終わり、手直しも終わり、照明・電気・カーテン・作りつけの家具と建具も入りました。
明日は、引っ越し。あんなに楽しかったこの現場も、今日でお別れ。明日からは、妹たちが楽しんでくれる。
最終日も工事をして、写真家の撮影を済まし、最後に現場監督と二人で清掃をしていると、いろんなことが脳裏をよぎった。
妹たち、現場監督をはじめ、職人の方々、この家に関わって頂いたすべての皆様、本当にありがとうございました。
初めて一人で手がけた「妹たちのいえ」、大げさですが僕のデビュー作完成です。
正面(東・南側)の深い軒、東と南に目一杯出した縁側。気持ちのいい季節には、食事をしたり、腰かけて庭で遊ぶ子供を眺めたり。
朝は、太陽が東の窓からダイニングへ全開で差し込む。 清々しい朝の光に包まれた家族の朝食。
昼は、友達や近所の子供や身内が、遊びに来たくなるような。 僕が気軽に、お茶しに寄れるように。
夜は、(まだこれからですが・・・)南と東と北の庭に軽い目隠しも兼ねた植栽を植えて、ライトアップ。
反対側(北側)のかわいく並ぶ窓達。 少しでもクーラーに頼らなくても済むよう、南北と東西の通風をたくさんとりました。
土地に逆らわず30坪(99.36㎡) と小さく設計することで、得られた風通しと庭、そして無垢の柱と梁と床、そして漆喰。
日本の家は、夏を旨とすべし。窓を開けると、庭からの風が家中を走り抜ける。風通しがよいことは、家も健康、家族も健康。
家に対してずっと考え感じていたことですが、気持ちがいいと感じる空間であること、そして末長く住み続けたいと思える家であること、
このキーワード満たせば満たすほど、結果として私が目指すシンプルなかっこいい家に近づくと・・・。
甥っ子が年をとっても、手入れをしながら使い込まれたこの家に暮らしてくれてたら、「この家はいい家だった」 といことだ。
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ダイニング・キッチンまわり。妹の要望は、特に細かい事はなく、あるように使うからいいと。 ただ一つ 「Yチェアを使いたい」だった。
まず照明には、Hans Jørgensen Wegner に合わせて、同じデンマーク Poul Henningsen の ルイスポールセン に。
キッチンは足元が浮いたシンプルな木目をチョイス、食器棚は作った。 狭くなるけれど、なんとか後ろに風が抜ける窓を入れました。
テーブルは予算に合った、長さ180cm以上のサイズが見当たらなかったので、迷った末にこの雰囲気に合わせてデザインすることに。
妹たちと木を選び、何枚も図面を書いて、随分と時間かけました。
家具を搬入するまではドキドキしたけれど、なかなかうまくいった♪ まぁまぁ良いとのことで、無事に合格頂けました。
今は若々しい家具や柱・梁・床ですが、Yチェアやテーブルと同じように使い込んで年を重ねて、家族を惹きつける空間へ育ってほしい。
チャンスがあれば、今度はキッチンや照明も、家に合わせてデザインしたい。
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本日は、耐震診断を兼ねてある家の調査へ行ってきました。
これは地震予測表、ちょっと前のデータです。地域ごとに予測がされています。
先日、12月14日 13:01 美濃東部 (E 35.4 N 137.3)で地震がありました。 震源深さ50M マグニチュード5.2 。
中津川・恵那・瑞浪・郡上で震度4。美濃加茂・可児・八百津このあたりは震度3。
2010年は、岐阜県内で震度4を観測したのは0回ですが、2011年は、今回で6回目。
この地域で、過去の統計から予測される地震は、今年発生した東日本大震災と同じ ① 海溝型地震(東海・南海・東南海地震) と、1995年に発生した阪神淡路大震災と同じ ② 内陸型地震(阿寺断層地震) らしいです。
① 海溝型地震 発生確率 87%
東日本大震災の震源は三陸沖。震源域は関東までの広範囲に及びました。
例えば、震源地が東海で震源域が南海まで及ぶ地震が発生した場合、ここ岐阜県八百津町錦織では、震度 Max 5.24 らしいです。
② 内陸型地震 発生確率 6~11%
断層豊富な岐阜県。家から、もよりの大きい断層は、下呂から中津川にかけて走る阿寺断層帯。
例えば、ここで発生した場合、ここ岐阜県八百津町錦織では、震度 Max 5.28 らしいです。
ご参考までのデータですが、どちらも震度5弱程。 ここのような内陸部では、海溝型のような海で発生して揺れる震度5よりも、内陸型のように足もとで発生して揺れる震度5の方が、過去の状況から考えると大変危険です。
直近、岐阜県内で震度5を観測したのは、昭和44年9月9日の美濃中部地震( E35.9 N137.0 ) 震源深さ20km・マグニチュード7。
震度5観測地は郡上郡と益田郡、このあたりは多分震度4。
地震の被害は、山崩れ、崖崩れのため道路損壊などの土木被害。負傷者や家屋被害は、ほとんど落石が原因。
地震が気になる方は、一度各務ヶ原の防災センター(Web)で、過去の大地震と東海地震の想定の揺れを体験されるといいと思います。
地震について人の話や本を読むより、まずは震度5がどんなものなのか? 体で覚える事が一番の備えになるかもしれません。
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やっと、10年落ちのWindows 2000 デスクトップから、 Windows 7 ワークステーションへ、3段階のバージョンアップ。
ついでに、自分専用のカラーレーザーも導入して、今までよりも仕事はサックサクに♪
今日は、ハード入れ替えにともない、4畳の小さな設計室の大掃除と整頓も兼ねて模様替え。
ところでこの部屋・・・、冬の時期は、日も入らず昼は外より寒く、夜は外より少し温度が高い程度。 吐く息は白く、朝は椅子が氷みたい、ストーブをつけても、外でたき火してるようなもので、いつまでたっても暖かくならない。 うっかりここで寝込んでしまったら、風邪をひく。
床板の下は、地面と玉石、一部に掘り炬燵の跡。 天井の板の上には、土葺の屋根と、隙間から外の光がこぼれる。
真壁の壁と柱の間からも、外の景色が見える。 まぁ、天井から空が見えないだけましか・・。
いつも思いますが、ほんの数十年前までは、石油はもちろん電気も使わず暮らしてたんですよね。
本当に快適になって良くなったのか、みんな揃って勘違いしているのか。
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室内も仕上げに入りました、今回は漆喰3連発 ♪
傷や汚れは理解の上での漆喰です。
例えば、生活上の油やシミなどのよごれは汚いけれど、暮らしの跡の傷であったり、子供の落書きは決して汚いものではありません。
先日ある方がこう言っていました、なぜ古い家は懐かしいと感じ、人を惹き付けるのか? その答えの一つは、柱や壁の手垢であると。
古い家であっても合板やビニールクロスでは懐かしさは感じないし、逆に新しい家に懐かしい空間を作る事は難しい。
懐かしい空間は、素材と時間が作りだすものだと思います。
この家も、数十年後には懐かしさが生まれ、住み始めた時よりも人を惹きつける家に育って、長く大切に住んでもらえたら嬉しい事です。
前置きが長くなりましたが、甥っ子にはそんな事を考えているおじさんの為にも、気のきいた落書きを頼んどくよ。
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土留めを兼ねた駐車スペースとアプローチ。スロープは、旦那さんの愛車だった 「VULCAN」 が通行可能な幅広に設計。
先週の休みはDucati の試乗に、アパートにはショールーム並みにトミカが、かなり本気みたいです。妹を説得できるのか?楽しみです。
そういえば僕も帰ってくる前は、NortonのフェザーヘッドにTRIUMPHのエンジン乗せた「Triton」で、八百津の山中をぶっ飛ばすつもりが・・・、思いもよらず田んぼで田植え機や脱穀機をぶっ飛ばしてる始末・・・。 ほしい農機具がありすぎて、Tritonはまだ先です。
妹たちのいえ、正面には可児の夜景。明日にはようやく外壁が終わり、来週にはTOYO KITCHEN 搬入、アパートの契約は一ヶ月短縮して12月末に、日も短くなり、現場は若干焦り気味・・・。
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お客様と一緒に考えて、工事会社と工事金額が決まりました。
お客様と工事会社の間で契約を結んだら、ここからはお客様・工事会社・設計事務所の3者での家づくりです。
今回は改装ということもありドキドキの見積もり開封・・・。 見積もり内容を精査し、比較検討した上で図面のまま行く事にしました。
写真は、図面と工事会社各社の見積もり、そして過去の物件の見積もり一覧表と建築コスト情報。
家の価値はあってないようなものです。定価があるもの(既製品)は別ですが、木のような定価のない素材、そして職人の技術(手間賃)、長く暮らしていく上での維持費(メンテナンス代)。 これらのバランスとお客様の予算(初期投資)とご要望の中から、ベストな答えを探します。
工事会社とは独立した立場で、お客様の相談にお答えし提案する事は、設計事務所の大切な仕事の一つです。
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今年2度目の信州安曇野へ、まだ山々に雪はかかっていませんでしたが、紅葉が綺麗だった。
今回は私の目標の一人、建築家 降幡 廣信 氏 にお会いする為に。 今から30年前に、初めて「民家再生」の仕事をされた方です。
名刺の交換をさせて頂き、少しばかりお話をしました。
降幡氏は静かな口調で、故郷である信州安曇野の、風景・自然に調和した本棟造りという民家の風土が心から好きだ、そしてこの美しい風土を次世代に引き継ぐんだ、という言葉を繰り返しおっしゃられていました。
著書は全て何度も読んでいましたが、細かい事は抜きにして、ただただシンプルな理念をお持ちの素晴らしい方でした。
降幡氏がされてきた仕事は、100年経ってもこの安曇野の風土を次世代に伝え続けることでしょう。
私が好きな言葉に、「 風土1000年 風景100年 景観10年 」 という言葉があります。
改めてこの言葉を見直し、この地方の美しい風土、そしてこれからの子供たちに何ができるのか、日々考動しなければなりません。
アリカンテ から ケープタウン へ 6500マイル(多分3週間ほど)の LEG1 スタート。
Live用と、Map用のパソコン2台並べて、万全の観戦態勢。こんな山奥からリアルにヨットレースが観戦できるなんて、♥ ♥ ♥ !
現在、Mark5を、チームニュージーラントがトップで回航、プーマ、テレフォニカ、アブダビと続く。
数時間後には、ジブラルタル海峡を通過して、Atlantic Oceanへ
http://www.volvooceanrace.com/
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あっという間に、2011年の秋も終わり。 VOLVO OCEAN RACEまで36時間を切りました。
地球一周 約40000マイル(計9レグ)の無謀な冒険レース。
前回よりもメディアが充実し、混戦のレース展開になれば、来年の夏まで、昼夜問わず仕事に支障をきたす事間違いなし!
・・・、さて、予習。コースは
Leg.1 スペイン(アリカンテ) 5.Nov.2011
Leg.2 南アフリカ(ケープタウン) 11.Dec.2011
Leg.3 UAE(アブダビ) 14.Jan.2011
Leg.4 中国(サンヤ) 19.Feb.2012
Leg.5 NZ(オークランド) 18.Mar.2012
Leg.6 ブラジル(イタジャイ) 22.Apr.2012
Leg.7 アメリカ(マイアミ) 20.May.2012
Leg.8 ポルトガル(リスボン) 10.Jun.2012
Leg.9 フランス(ロリアン) 1.Jul.2012
Fin アイルランド(ゴールウェイ)
参加チームは、前回より2艇減って、以下6艇6チーム。
プーマオーシャンレーシング : 前回2位のプーマ。タコにからまれて堂々再挑戦。
チームテレフォニカ : 前回大いに盛り上がったテレフォニカ(スペイン)
チーム・サンヤ : 寄港地となる中国サンヤから、前々回優勝スキッパー率いるNZ勢。
アブダビ・オーシャンレーシング : 寄港地となるUAEより中東勢初参戦。
グルーパーマ・セーリングチーム : フランクカマス船長、オーシャンレース参戦(フランス)
カンペール・エミレーツチームニュージーランド : 満を持してチームニュージーランド。
http://www.youtube.com/watch?v=1e8GufOMSjo・・・プロモーションビデオ
最近、子供たちと見た本です。 ロシアの静かな美しい町の1990年の写真集です。
1986年4月チェルノブイリ発電所爆発。とても美しい大地に、目に見えない放射能がいっぱい降り注ぎ、時間の経過とともに小学校が閉鎖されていき、村々が廃村になり、そして不安を抱えながらも安全だと言われて大切に育てた子供たちが、次々と死んでいきます。
絵本のようなとても美しい風景の写真と、そこで死んでいく子供たちの写真。真実を理解するまでにとても時間がかかりました。
広河隆一氏のあとがき
この本に登場した子供たちの何人かは、もうその小さな生命を終えてしまっています。そして多くの子供たちが今病気に苦しんでいます。
その子供たちの事を思い出すにつけ、なぜこんなことが起こったのかと考えざるをえません。
チェルノブイリで起こった事故は確かに恐ろしいものでした。しかし本当に恐ろしい事は、その後に起きて今に至るまで続いているのです。
それは人々が危険なところに住んでいるのに、安全だと言われ、そう信じさせられてきた事です。
もしかしたら、そもそも原発というものが安全だと考えることが、全ての悲劇の原因かもしれません。
・・・・・
先月、今年穫れたお米と、家の裏の土を、放射能測定(Nalシンチレーション検出)依頼に出しました。
お米も土も、20bq/kg以下【不検出】という測定結果でした。
お米は測定下限値以下で検出されませんでしたが、土からは【セシウム137】5.8bq/kg と 【セシウム134】6.8bq/kg の放射線のピークがはっきりと検出されました。
確実にこの土地にも、1秒間に1kgの土から5.8個と6.8個の原子核が崩壊して放射能が発生しています。
半減期2年のセシウム134は、少なくとも半減期30年のセシウム137よりは、徐々に減ってはいくが、今の子供たちはもちろん未来の子供たちも、この大地からの被爆と、この大地で育った作物を食べて内部からの被爆から逃れることは出来ません。
安全だと言われている今回の放射能測定結果。まだ2歳と5歳の娘たちは、これからどうなるのだろうか・・・。
もしも逆に、暮らしている土地で強制退去まではいかない高濃度の放射能が測定され、そして安全ではないかもしれないと言われ、自ら危険の可能性を認識したところで、はたして現実的に暮らしている地を去るという、辛い決断ができるのか・・・。
今も止まることのない原子力発電。 行きつく先には、安全と言われても危険と言われても、悲劇しかありません。
1986年から25年が過ぎて2011年また同じ過ちを繰り返し、1990年から25年後の2015年また同じ悲劇が始まる・・・。
戦争は人の手で止められるけど、放射性物質の崩壊は人の手では止められない。今やらないといけない大事な事が、二つある。
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