最近、子供たちと見た本です。 ロシアの静かな美しい町の1990年の写真集です。
1986年4月チェルノブイリ発電所爆発。とても美しい大地に、目に見えない放射能がいっぱい降り注ぎ、時間の経過とともに小学校が閉鎖されていき、村々が廃村になり、そして不安を抱えながらも安全だと言われて大切に育てた子供たちが、次々と死んでいきます。
絵本のようなとても美しい風景の写真と、そこで死んでいく子供たちの写真。真実を理解するまでにとても時間がかかりました。
広河隆一氏のあとがき
この本に登場した子供たちの何人かは、もうその小さな生命を終えてしまっています。そして多くの子供たちが今病気に苦しんでいます。
その子供たちの事を思い出すにつけ、なぜこんなことが起こったのかと考えざるをえません。
チェルノブイリで起こった事故は確かに恐ろしいものでした。しかし本当に恐ろしい事は、その後に起きて今に至るまで続いているのです。
それは人々が危険なところに住んでいるのに、安全だと言われ、そう信じさせられてきた事です。
もしかしたら、そもそも原発というものが安全だと考えることが、全ての悲劇の原因かもしれません。
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先月、今年穫れたお米と、家の裏の土を、放射能測定(Nalシンチレーション検出)依頼に出しました。
お米も土も、20bq/kg以下【不検出】という測定結果でした。
お米は測定下限値以下で検出されませんでしたが、土からは【セシウム137】5.8bq/kg と 【セシウム134】6.8bq/kg の放射線のピークがはっきりと検出されました。
確実にこの土地にも、1秒間に1kgの土から5.8個と6.8個の原子核が崩壊して放射能が発生しています。
半減期2年のセシウム134は、少なくとも半減期30年のセシウム137よりは、徐々に減ってはいくが、今の子供たちはもちろん未来の子供たちも、この大地からの被爆と、この大地で育った作物を食べて内部からの被爆から逃れることは出来ません。
安全だと言われている今回の放射能測定結果。まだ2歳と5歳の娘たちは、これからどうなるのだろうか・・・。
もしも逆に、暮らしている土地で強制退去まではいかない高濃度の放射能が測定され、そして安全ではないかもしれないと言われ、自ら危険の可能性を認識したところで、はたして現実的に暮らしている地を去るという、辛い決断ができるのか・・・。
今も止まることのない原子力発電。 行きつく先には、安全と言われても危険と言われても、悲劇しかありません。
1986年から25年が過ぎて2011年また同じ過ちを繰り返し、1990年から25年後の2015年また同じ悲劇が始まる・・・。
戦争は人の手で止められるけど、放射性物質の崩壊は人の手では止められない。今やらないといけない大事な事が、二つある。
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