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この町は、どうも一人が落ち着くので、ゆっくり思考する時間があった。
このインドの旅行中、新しく気付いたことや、忘れていたことがいくつかあった。そのほとんどが、シンプル・簡単なことが多かった。
私は日本ではメディアに流され周りに流され、ややこしいどうでもいいことを深く考えすぎていたのだと思う。
そう思うと、日本に帰ってやりたいことやるべきことがはっきりしました。
今日がインド最後の夜、ちょうど日本に帰りたくなってきました。
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風邪気味で昨日の夕方から、ベッドでダラダラしてました。たまたま泊まったホテルに、世界の神という内容の日本語の本があり、読んでました。私は寺と神社の違いを知らなかったほど、神に関しての知識・経験がなかったので、この本はほとんど理解できず。
ただ、これからは知る努力をしていこうと思う。
対岸から昇る朝日失礼しました・・・。
んっ! 水泳大会!
この町は夜になると、薬物の密売人がウロウロしていて、それに群がるのが日本人。ここにいいる半分以上の日本人はそれ目当てです。
そういえば、ここで15歳の韓国人の女の子に会った。彼女は中学を卒業したところで、今年の4月から3年間1人で世界を旅すると言っていた。えらい事になってます。
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朝、電車で起きたらどこかの駅、歯磨きしに水道に行ったら目的地のベナレス。慌てて荷物まとめて、電車から降りる。今回の最後の町は、ヒンディーの最大の聖地。ここで死ねば解脱できる都といわれており、この町は別名【大いなる火葬場】。
この町には、露天の火葬場が2つあり、【死を待つ人の家】が数十個あるらしい。死んでから火葬場に来るのではなく、ここで死ぬ為の家。
対岸で煙が上がっているのが火葬場。
全員が火葬されるわけではなく、子供・妊婦・お金のない人は遺体に重りを縛り付けて、そのまま川に流される。もちろん、ひもが腐ったり・重りが取れたりして遺体は浮かんでくる。それらは、火葬場の対岸(写真の手前の川岸)に上がる。
私は、初めそんな予備知識もなく、ただ対岸から町を眺めようと思い川を渡った。町を見ながら川岸を歩いていると、一体の死体が目に入った。はっと辺りを見回すと、大量の死体が並んでいた。
この町は死との距離がいつもより近すぎる。
いつも死との距離が遠すぎるのかもしれない。
この聖地は、今までの町と違う。
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今日も、タイトな一日です。
まずは、ホテルのカウンターで爆睡してる係のインド人をたたき起こします。インド人は寝起きが悪いので、遠慮してたら電車に乗り遅れるので、遠慮無しです。
5:00の電車に乗るため歩いて駅へ。途中、昨日一緒に飲んだ仙台の方と会い、行き先は違うがたまたま同じ列車。列車は始発なのに1時間遅れる・・・。仙台の方は、数日前にインドに入ってこれから数ヶ月インドを旅するらしい。10年前にもインドに一年ほどいて、今回で3回目。インドでつまらない町は、ニューデリーとアーグラーとベナレスだそうです・・・。今から行くところです・・・。私も、うすうす感じていたが、ジャイプール以降インド人と話す内容がお金の話ばかり。子供も全く遊んでくれない、寄ってくるのはプロの営業のインドの方ばかり。期待せず次の町へ行きました。
昼前にアーグラーに到着。ここはダージマハルがあり、インドで観光客が一番集まるところ。インドで一番客引きのプレッシャーが強い所と思い覚悟して駅を出る。が、あまり人がいない。リキシャーに乗って、ダージマハルへ。
まさかの、休業日・・・!
「ハロー、ジャポニーズ」
この少年、ホモ君。
ホモ君が、「僕は中に入れるから、カメラを貸してくれたら、ダージの写真を撮ってきてあげる」と。30%ぐらいカメラ盗まれるかなと思いながらも、貸してみることに。
しかし、ホモ君は10秒で警備員に怒られて出てきた・・・。
これがその写真。ホモ君はただ写真を撮りたかっただけ。それからホモ君に付きまとわれる。ホモ君のお姉さんが働いているレストランでランチを食べさせられる。夕方にはアーグラーを出ると言うと、ホモ君が「後ろからダージが見えるから」とお姉さんに私のバックを預かってもらい、ホモ君についていく。ホモ君は、すれ違う子供達をみんな私に紹介してくれ、最後にいい奴だからチップを渡しなと言ってくる。1ルピー2ルピー渡していたが、子供同士が連絡を取り合っているかのようで、わいて出てくる。川の所でホモ君がおじいちゃんを呼んでくれて、いかだで川を渡してくれた。
向こう岸から見たダージ。
世界遺産に向かって、裸で飛び込むホモ君達。
全て白大理石のダージ、1653年竣工。ドームの高さは65m。
やっぱり中から見たいなぁ・・・と思い、また来ようと・・・。ホモ君にさよならして、歩いてバスターミナルへ。
途中にあった赤い城塞、有名な世界遺産らしいけど、もうお城は十分見ましたので、結構です・・・。
次の列車には、ここから30kmは離れた駅までバスで移動。
駅では電車が遅れに遅れ5時間ほど待ちました。
鞄の中には、電車で食べるお菓子が一杯・・・。
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今日は気合を入れて一日中デリーを歩きます。
建築物も見て回りますが、一つ探し物が。私がとても共感する言葉、マハトマガンジーの【七つの罪】です。
この場所は、1948年1月30日ガンジーが暗殺された場所。
BIRLA HOUSE。
足跡は、ガンジーの最後の足跡。
このとき、15分ほど激しい雨が降った。インドで初めての雨。
お墓
ありました。
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再び寝過ごして、バスの車庫で目覚める。私が気持ちよく寝ていたので、そっとしておいてくれたのかな。
まずホテルをとる為、バックパッカーの多いメインバザールへ。今後の予定を決めるため、日本人の集まりそうな所へ行こうと思い、日本語でパヤールと書いてあるホテルをとる。もともとインドへは、デカン高原に行くことが一番。次には南インドか北インドか迷ったが、熱かったので北へ。北インドはムガールの建築物と、コルビュジエとジャンヌレの都市チャンディーガルと、皆のお勧めガンジス川のバーラーナシー(ベナレス)へ行くつもりでした。
この日は、電車やバスや飛行機の時間を調べチケットを手配して、予定を確定しました。インドでは特急列車はいつでも予約がいっぱいで半月前には予約しないと取れないとのこと。あてにしていた電車が使えず、バスでは距離があるので、飛行機に乗ることに。飛行機は値段がちょっとお高く、15000ルピー。日本円も全て両替して、結局一番メジャーでぎりぎりまで回れるコースに決定。明日は一日デリー、翌日は早朝から移動してアーグラーでダージマハル、その日の晩に電車でベナレスに移動してガンジス川で3泊し最終日に飛行機でムンバイに戻り、そのまま日本へ帰ります。
この日の晩は、日本語のメニューのある店で、この日に知り合ったテレビ局の堤君と同じ建築士の北脇君と三人で乾杯。偶然、ジョードプルで会ったスケ君にも再会し、この日は皆で旅行話を延々と深夜まで・・。
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4:00頃ジャイプールに到着し、チリの女の子二人とさよなら、一人駅でチャイ飲みながら日の出を待つ。
今夜は、夜行バスでデリーに向かう予定なので、シャワーと荷物を置いておく為、ホテルへ。
早速、この町の目的のひとつ【天空の城アンベール】へバスで行く。
アンベール城の門
下に見えるのがアンベール
上から見たアンベール城
50℃以上の暑さの中、緑のない荒れた山を2時間ちかく登って、たどり着いたのが緑に茂った木と芝生の天空庭園。
次に市街地へ。この門が、ジャイプール(ピンクシティ)への入口。この町は、高さ6mのピンクの城壁(総延長10km)に囲まれた町。
風の宮殿
古代の天体観測所
風の宮殿から町の眺め
これはヒトリキシャー、インドのタクシーです。この人たちのセールスは一流です。まずは私が歩いていると、「俺にのらないかい?」とすぐに声を掛けてきます、「歩いて行くから、No Thank you」。次は私が他のリキシャーから降りた所を、すぐに何人ものリキシャーが「次は俺にのらないかい?」と声かけてきます、「今降りて目的地着いた所だから、みなさんNo Thank you」。すごい奴はリキシャーに乗っている所に、「俺に乗らないか?」と声を掛けてきます、「いやいや、今乗ってるし!」
牛車
フルーツ屋。1バナナーは、1ルピー。1マンゴーは、3バナナー。
馬車
像タクシー
インドのバスは、乗客が少ないと出発してくれません。
喧嘩
サンセット。
朝から晩まで歩き続けた、インドの町歩きが上手になってきた。
今からシャワー浴びて、夜行バスでデリーに移動します。
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時計はないので、時間はわからないが、昨日はとても長い夜でした。
実は、昨日出発前にガイドに「今晩砂漠でお酒を飲みたいか」と聞かれ、「飲みたかったら酒を買ってくる」と言われ、私はお金を渡しました。そして、途中で来たガイドの友達は、砂漠の密猟者(スナイパー)で銃を所持してました。ガイドと友達は砂漠で猟をして、捕らえた獲物で酒盛りをするつもりでした。しかし、獲物があまりいなかったのか、スナイパーの腕が悪かったのか、獲物は何も取れ捕れなかった。そして夜の食事が済みウォッカを飲み干した後、ガイドに「もっと酒を飲みたいか」と聞かれ、「飲みたかったら、今から酒を買いに行く」と言われ、さらに「肉は食べたくないか」と言い出した。私も飲みたかったし、NOともいえず、お金を渡しました。そして二人はラクダに乗って、闇の中へ消えていきました。
始め私は、一人きりのすばらしい月の砂漠を、写真撮ったり歩いたり寝転んだり・・・満喫していました。それから、2時間ぐらい経っただろうかわからないけど、まだ酔っ払いのインド人二人が帰ってこない。そう思うと、一人きりの夜の砂漠ほど恐ろしいものはなかったです。その後、インド人二人が歌いながらラクダに乗って帰ってきました。とても上機嫌・・・間違いなく、インド人二人は町で一杯やってきてます・・。しかも「コッコッコッコ・・・・」鳴き声がします、ガイドのインド人は生きた鶏を持って、「今夜はチキンパーティー!」と・・・。結局、硬い鶏の肉とソーダ割りウォッカ飲みながら、三人で歌い酔っ払って寝ました。
眩しくて起きて、あわてて撮った朝日。
伸びる影
朝になっても酒がぬけてないようで、インド人も朝からラクダに乗って歌いっぱなし。無事に町までたどり着き、ガイドたちとさよなら。
ホテルに着いたら、すぐにシャワー。
今日は、6月8日。6月16日の夜には、ムンバイ空港に戻らなければならない。残り時間は八日間。このままこの町で砂漠で遊んで、ゆっくりムンバイまで戻ろうかとも考えたが、とりあえず一度デリーに行くことに。デリーまでの通り道に、ジャイプールと呼ばれる町があり、そこに寄って行く事に。結局、ムンバイから遠ざかるし、予定も白紙のまま。
ジャイサルメールは左【西】、ムンバイは下【南】、デリーは上【北】。
とりあえすジャイプール行きの列車を予約する。2時間リキシャーにガイドをお願いし、砂漠の道を走ってもらい、砂漠とさよなら。19歳と町へ行きたっぷり食事をとって、19歳とさよなら。駅へ行く。次の目的地のジャイプールは、早朝に到着予定で終点の駅ではない。だから、自分で降りないといけない。インドの列車はよく遅れるから到着時刻はあてにならないし、アナウンスは聞き取れないし、暗いと看板も読めないし、朝早いと隣の人に教えてもらうのも悪いし、そもそも起きる自信もない。半分あきらめて列車に乗ると、ラッキーなことに、ジョードプルで会ったチリの女の子二人が同じ6人部屋。彼女達は今日ラクダに日帰りで乗って、これからデリーに向かうとの事。明日、ジャイプールで起こしてもらうようお願いし、夜は三人で話をして寝る。
世界の車窓からみたいな、綺麗な荒野と夕日でした。
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ON THE CAMEL です。
CAMELの顔
彼が砂漠のガイド、彼と二人で砂漠で一泊。明日まで私の命は彼の物。彼を怒らせたときには、私はこの砂漠の砂になります。
昼の休憩中。昼過ぎは、危険だから日陰で待機。サウナの中にいる感じ、熱気で呼吸する事も嫌になる。日陰を出て1分歩くと、くらくらしてまっすぐ歩くことすらできない。地面もやけどするほど熱い。
白シャツの男がガイド。迷彩服の男はガイドの友達。
ガイドの友達は、砂漠のどこからか現れたスナイパー。
大きな鳥。
日陰で休憩中のらくだ
ヤギか羊か忘れた・・・。
馬みたいな動物、名前忘れた・・・。
放牧。
砂漠の井戸
インドにきて四日目にインド水を飲んで以降、何を食べても何を飲んでも大丈夫な体になりました。おかげで、砂漠ではどんな水でもガブガブいけました。
砂漠の太陽
砂の上で、ジャンプ。
夕日。よく見ると真ん中に・・・。
ラクダも食事中。後ろから月。
今日の晩御飯。カレーとソーダ割りウォッカ。
インド人はウォッカ好き。
赤月光
青月光
月光
月とラクダ
今日の寝床。砂の上に布がおいてあるだけです。フラッシュ使用。
夜は思ったほど寒くなかったです。というより砂漠のシーズンは冬。冬だから夜は寒い、この時は灼熱の6月です。この日は幸い、風も弱く過ごしやすい夜でした。ただ気になったのが、寝てるときに獣が来たらどうしようとか、朝起きて一人だったらどうしようとか、考えてしまいます。
音は風だけ、光は月だけ、360度地平線。すばらしい世界でした。
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これがジャイサルメール(ゴールデンシティ)です。
本当、砂で作られた町です。
子供たち。
ホテルの19歳の従業員に、オススメの丘に連れて行ってもらいました。
これが、本当のゴールデンシティなのかも。
この日の晩も、19歳と語り合う。彼は、すごい田舎から出稼ぎに来ている。月収は1500ルピー、日本円で3000円。彼の一年の労働は36000円、10年で36万円。同じ人間でこの差はなんなんだろうと思うけど・・・。やはり、あの紙切れの紙幣(マネー)で世界は動いており、世界を動かしているのは、マネー(お金)を作っている人たちだということ。あの紙切れに、価値があると世界中の人を信用させてる事は、歴史上最大の詐欺?・・・。
さて明日はいよいよ、砂漠へ。
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朝から子供の声でおきて、ホテルの前で遊んでいると、日本人の旅行者のスケ君に会う。スケ君も30歳で一人放浪中。彼はここより西の砂漠の町から来た様で、砂漠でらくだに乗れるとの話を聞いて、ノープランだった私は次はそこへ行くことに。
地図で見ると砂漠の町まで300kmぐらい、多分砂漠の道は景色がいいだろうと思い日没を砂漠で見れるバスに乗ろうと思い昼に出発することに。それとこのホテルは居心地がよく、なかなか出られなくなりそうなので、思い切って出発することに。
サダム達とサヨナラ、ここにはまた必ず来ようと思った。
次の目的地はジャイサルメール(ゴールデンシティ)。パキスタンの国境沿いの町。スムーズにバスに乗れ、予定通り出発。
電車、インドの踏切は10分ほど待ちます。
すれ違ったバス。
夕日。砂漠の荒野を走ってきました。
夜にジャイサルメールに到着。客引き捕まえて、すぐにホテルへ。早速らくだに乗りたいと交渉したら、明後日の朝にインド人と二人でらくだで出発して砂漠で一泊して帰ってくるキャメルサファリツアーに行くことになりました。
この日はホテルの19歳の従業員をつかまえて、町へ買出しに行きホテルで食事をして夜まで付き合ってもらいました。今は暑すぎてオフシーズンだから、暇なんだと。
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今日は、今も現役でマハラジャが住むパレスへ行くことに、目指すは下の写真の真ん中の宮殿。マハラジャとは、超富裕層の貴族。
徒歩で2時間歩き続けて、やっと到着。しかし、見学はできないとの事。ここで日本から持ってきたシャツとネクタイをして、どうしても入りたいと言ったら、ホテルに泊まるか食事をするなら入れるとの事。一番安いのを頼んだら、3000ルピーのブレックファストとのこと。日本円に換算して6000円の朝定食。今泊まってるホテルが一泊150ルピー。
やっと門が開きました。ヨーロッパの建築家の設計だそうです。
本物のインド人です。
テーブルからの眺め。
正面がホールです。常に右後ろと左後ろに二人ボーイがいて、なんでもしてくれます。私の右手と左手のように。お客さんは私と他に一組のインド人の家族。
インドの大きな格差社会を感じました。
帰り道にあった子供たち。
ホテルに戻ると、ホテルの前のストリートで子供たちが、子供らしく遊んでいる。近所のおばあさん達も家から出てきて、子供たちを笑顔で眺めて。子供たちがクリケットを始めると大人も入って、私も誘われて。この地区は快適ではないし貧しいけれど、インドで見た一番羨ましい光景でした。やっぱりこういう子供たちと一緒にいることが、大人にとって一番幸せなことじゃないかなと思いました。
ホテルの近所の子供たち、左がサダム。サダムは11歳で、賢い少年。私の後を着いてきて、地球の歩き方を見ながら日本語の勉強と、いろんな話を聞きたがる。旅行者から教えてもらったようで、サダムは数ヶ国の言葉をしゃべる。サダムはもっと勉強したいし、いろんなところへ旅行に行きたいと。将来何をしたかと聞いたら、父と兄とホテル経営をすると。そういえば、シャルマンも父と同じリキシャーの運転手だった。多分、やりたい事に挑戦する以前に、いろんな物を見る機会がないんだろうなと思った。その点、私は恵まれている。
その日の晩は、南米のチリから来た女の子二人と、乾杯。2年ぐらい旅をし続けているらしく、日本でも働いて資金を作って旅行しているとの事。半分ほどしかわからなかったけど、いろんな国の話をしてくれた。最後にチリはインドのように物価が安く、お酒もご飯もおいしく、綺麗なところでおすすめだと。今度の私の一人旅は、メキシコから入ってチリまで南米の遺跡を見ながら南下していくコースへ行こうと思いました。
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これがジョードプル【ブルーシティ】、砂漠の町。
拡大!インド人が好きなポーズです。
サリーの女の子。
右に見えるのは砦。とても埃っぽい町。
浮かんで見えるのが、メヘラーンガル城。
泊まっているホテルのオーナーの娘。
オーナーの息子と友達。私は今クリケットの守備をさせられている。
この晩、同じホテルでインドに来て初めて日本人と会いました。私と同じ年で、料理人としてずっと働いていたけど、最近辞めて今世界一周中、日本に戻ったら自分の店を出すんだと。この晩は二人で町にお酒を買いに行き、ホテルの屋上で乾杯。
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朝6:00にウダイプルへ到着。ここへは電車なので、到着した位置もわかっており、5kmほど歩いて市街地へ。ウダイプル(ホワイトシティ)は、砂漠地方には珍しく湖がありインドでも有名な避暑地。
前の町で暑い中歩いていたら、上の写真を見つけました。【レイクパレス】湖に浮かぶ白い城。近くだったので涼む為に、この町に寄りました。
この町は長居するつもりはなかったので、すぐに今晩のバスのチケットを予約して、チケット屋のお兄さんにチップ払って荷物預けて、レイクパレスを目指しました。
レイクパレス見つけました。どーやら、乾季で湖の水はないようです・・・。
となりのシティパレスのランチです。ここは宿泊は2万ルピーぐらいするそうですが、ランチは700ルピー。久しぶりのまともなブラックコーヒー。
バスの時間は20:00なので、午後からは、いつもぼったくられているリキシャー(原付のタクシー)に交渉して、20:00までガイドをお願いしました。結局、私より若い少年でシャルマン君が300ルピーで引き受けてくれました。シャルマンはすぐに観光地に連れて行くので、シャルマンの家とか行きつけの店とか学校に連れて行ってもらいました。シャルマンの家は、めっちゃ汚かったですが、奥さんと娘達を紹介してくれました。シャルマンはいろいろ教えてくれ、実はローカルプライスとツーリストプライスがあるとか、いつも私が5ルピー以上で飲んでるチャイは1ルピーで飲めるとか。あと10本で1ルピーのタバコをくれたりとか、本当におじいちゃんが葉っぱで撒いて作っていた、思ったよりおいしかった。
最後に30分以上かけて、山の上の夕日を見せてくれました。
今夜は寝台バスで、明日にはジョードプル(ブルーシティ)。
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この日は、名所へ観光
マハトマガンジーの活動拠点。
井戸② 両方とも500年以上前です。深さは20~30Mありそうです。
夏のインドは、朝と夕方外にでて、昼は日陰にいるのがオススメです。昼はインド映画を見ました。インド人が終始ダンスをしてる映像でした。とても映画とは思えない内容でした。
駅の構内の様子。夜10時過ぎ。この駅は明るくとても綺麗。
初めてのインドの寝台列車、自分の席を探すのに一苦労です。一番安い席なので6人部屋、前と後に三段ベッド。2段目のベッドで横になる、上も下も横もインド人、とても落ち着かない・・・。乗り物の中は、まだ怖くてカメラは出せません。目的地は終点なので、起きたら着いているはず。
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起きたら、バスの中。でもバスは止まっていて、人の気配が全くしない。降りてみると、時間は日の出直前でバスの車庫の様な所で、誰も人がいない。バスの中に忘れられてたみたい。本当にいい加減な国です。いつもだったら集ってくるリキシャーも来ない。その前に、ここがどこかわからない。とりあえず、チャイ屋を探す。でもしばらくすると、客引きにつかまりすぐにホテルへ。
この日は今後のコースを考え、次は電車の予約を取り、町を歩く。
インドの道。とにかく砂ぼこり。
インドの学校に行ってる少年達
話しかけられて、ついて行ったらバスの運転手で、乗せられた。
駅で電車を待っていたら、牛が来た。
インドの交差点。横断不可能です。
インドの結婚式。この白い服の人、ずっと写真取ってくれって言ってきたくせに、とったポーズがこれ。よくわかりません。
イスラム教のモスク。インドの宗教は80%ヒンディー教、13%イスラム教、残りが仏教・ジャイナ教・シク教・キリスト教いろいろ。
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この日は、昨日の夜に初めて飲んだインド水が、威力満点で朝から下痢。ここ何日の疲れもあり、薬局で薬を買ってホテルのベッドでダウン。冷房はなし、オンボロのファンが天井で回ってるけど、日中の気温は50度以上。寝台バスの出発は17:00、下痢でトイレが心配だから、何も食べず。
寝台バスは2階建てで、2Fは小さいベッドになっていてカーテンで仕切る。私は2Fで横になって、窓からデカン高原の壮大な姿を満喫。夕日を見て、20:00にはバスの中で熟睡。
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4:30起床。
アジャンタ行きのバスが5:15に出るので、暗い中バスターミナルへ。昨日時間と場所を確認したけれど、思っていた以上に人が多くほとんどインド人、会話が通じない。暗くて何十台もバスがあり、さっぱりどれかわからない。
そろそろ時間かなと思いながら、とりあえず「プリーズ、アジャンタ!」と聞いて回っていると・・。少年にこっちだよという雰囲気で呼ばれて、思わず焦ってついて行ったら・・・、暗くてよくわからなかったが、ジープの後部座席の真ん中に乗せられて、気付いたら少年もいなくて、ジープにはインド人の男4人と私。明らかに雰囲気がおかしかったので、逃げようかと迷ったが、逃げ切れなさそう・・・。
ジープが動き出し、デカン高原の荒野をぶっ飛ばしていく。
男達の会話は全てヒンディー語で、わからない。
正面の荒野の地平線から太陽が出てくる。
これは今まで見た中で、一番綺麗な朝日。
朝日を見ながら、初めて「もうだめだ」と思う。
しかし、そのうち小さな村が見えてきて、助手席の男が四角い雑誌の束を窓から投げた。また次の村でも投げる。
実はこの人たち新聞配達だったんです。で、小遣い稼ぎに後部座席でタクシーをやっていたようです。本当に拉致されたと思っていて、どっと疲れました。
このジープに乗ってる間の景色は、新聞配達しか通らない道を行くので、観光客の来ないインドの田舎をたっぷり見れました。この旅行でいろんな意味で一番おもしろかったです。でも、カメラは怖いから出せませんでした。
アジャンタには、私一人だけ開場1時間以上前に到着してしまい、朝っぱらから30人ほどの飢えた土産物屋の餌食になりました。
アジャンター石窟群は、川の湾曲部分の断崖をくりぬいて築かれた大小30の仏教石窟寺院。5月は乾季のため、この川に水はありません。ここは紀元前から5・6世紀の間に築かれ、その後忘れ去られてしまい、1815年に再発見される。
近くで見る断崖。四角い穴は、窓や入口。
内部。天井だかとても高い。
帰りは、荒野でバス停が見つからず困っていたところに、偶然にも昨日の帰りのバスで隣だったアンリさん家族と会い、またバスの中で帰りの2時間ほど私の英語に付き合ってもらいました。
この日の晩も、昨日の食堂で遊んで、酔っ払っていたら散髪されました。それ以降インド人からニーハオと言われるようになりました。
明日以降の予定が決まってなくて、ずっと南下するか北上するか迷ってたんでけど、北上することに。ついでに明日の夜行バスも予約して、明日は一日この町で遊ぶことに。
最後に、食堂の子供に渡されたインド水をコップ一杯飲んで寝ました。
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気付いたら、ヒンディー語で起こされていて、バスから降りる。
もうすでに深夜、そこは薄暗いバスターミナル。よく見ると、書いてある看板の字が全部ヒンディー語。遠くで犬がほえる。この旅行、実は赤ちゃんのお知りふきまで気が利いて持ってきたのに、時計を忘れて、何時かもわからない、ここがどこかもわからない。
ここで朝になるまで待つのも危ない、腹も減ったしホテル探して歩くことに。暗い道をさまよってホテルに入ったのが3:00。場所も目的地のアウランバンガード。
この日は朝から目的の一つエローラ遺跡へ。
エローラ石窟遺跡群、ピラミッド・アンコールワットに並ぶ大きな世界遺産。1500年ぐらい前に大きな岩盤を掘って作った寺院。
中からの風景、周りは何もない高原地帯にここはポツンとあります。
カイラーサナータ上から。石を削って作ったもの。小さいのが人。
インド人も暑いので休憩中。
炎天下の中、一日かけて全部の遺跡を回りました。ここのシーズンは2月から11月がだそうです。5月から7月は特にオフシーズンだそうです・・・。
帰りのバスでは、隣に座ったバンガロールから家族旅行に来てたアンリさん家族と、仲良く話をして帰りました。何言ってるかよくわかりませんでしたけど・・・。
18:00にアウランバンガードについてから、一人でB級グルメツアー。二日ぶりのビールにありつけて、食堂の子供たちと酔っ払って夜まで遊んでました。明日のアジャンタ遺跡へのバスの時間を確認して消灯。
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5:00起床。
半分、インドに来たのを後悔しながら、ほとんど寝れず。
すぐにホテルを出て、COFFEE探しに町へ出る。
↑ 植民地時代の象徴、インド門
↑ ムンバイ大学の中、とてもエリートなムンバイ大学の学生?
昼食は、思い切ってインド人の大衆食堂へ。オーダーは、得意の人の食べ物指差して、ジス ワン プリーズ!。 当然カレー定食!もちろん手で食べました。
ムンバイは世界で、東京・NY・ソウル・メキシコシティに次ぐ5番目の都市。ちなみに6番目がインドの首都デリー。全く興味がないので、目的のデカン高原の都市【アウランバンガード】へ行くために、バスターミナルへ 。14:00ぐらい。
バスターミナルでは、インド人の出稼ぎの人ばかりで観光客は誰もいなく、通じない英語で筆談。どうやら、直行バスはなく通りがかりのバスに乗って途中下車するとの事、当然到着時刻もわからない。だいたいアウランバンガードまで500km。バスの中は全てヒンディー語で、英語のできない運転手が着いたら教えてくれるとの事。15:00に出発らしく、迷ったけれどムンバイですることないから乗ることに。
方角的にはムンバイから東へ、インドの内陸部へ上っていく。グランドキャニオンみたいなところをバスがグニャグニャ上がっていく。このバスの中で見たデカン高原は最高でした。日没は20:00ぐらい。
ただ、バスの中でカメラを出したら逃げ場もなく襲われそうだったので、写真が取れなかったのがだけが残念でした。
そのまま、バスの中で熟睡・・・。
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ムンバイ(Munbai)は、黒の矢印のところ。
ここから22日間、インドを見てきました。【移動距離 約3500km】
旅で一番興奮するのが、入国審査を通過して空港の外に出た時。始めてその土地の空気を感じて、不安ながらもワクワクする瞬間です。
上の写真は、空港でつかまえたタクシー。ドライバーは中学生ぐらいの少年で、鍵ではないものでエンジン掛けてました。車が壊れる心配よりも、運転が下手すぎて死ぬかと思いました。着いて1時間ほどで、この国はとてもいい加減なことがよーくわかりました。
この写真は、タクシーから降りたところ、めっちゃ臭くて、そこらじゅうで人が寝てました。少年が道に迷いに迷って、いつまでたっても着かないので降ろしてもらいました、22:00過ぎ。やっとホテルを見つけたのが24:00。250ルピーの1畳程の個室。さすがに5月のインドはとても暑く、汗まみれでシャワーをあびに。共同のシャワールームへ行くと、予想外の水不足。お湯はなく水しかないと思っていたけど、蛇口をひねっても少ししか水が出ない。結局、コップ一杯(200ml)の水を集めるのに一分ぐらいかかる、過酷なホテルでした・・・・。
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・日程
2009/05/26 12:35 出発 東京成田
2009/05/26 18:50 到着 インドムンバイ
-----------------22日間観光------------------
2009/06/16 20:05 出発 インドムンバイ
2009/06/17 08:35 到着 東京成田
・持ち物
カメラ(5G)・充電機 地球の歩き方 赤ちゃん用お尻ふき 南京錠 パスポート バックパック(40L) リュック(小) サンダル ネクタイ・シャツ パスポート 海パン 貴重品入れ×2 インド用コンセント タオル×2 服下着×2 歯磨きセット 石鹸 綿棒 クレジットカード お金
・お金
インドでは一日1000円(約500インドルピー)あれば暮らしていけるとの情報で、移動費観光費と生活費22日間なので予算は余裕を持って10万円。空港で8万円をアメリカ$に両替( T/C US$700 キャッシュUS$140 )残りは日本円で持って行くことに。インドルピーには現地でアメリカ$で交換する。何かあったらクレジットカード。
レート(手数料込)はだいたいこんな感じ
95円(JPY) = 1ドル(USD) = 47ルピー(INR)
1.5Lの水 12ルピー = 24円 (コンビニで水1.5Lが120円)
カレー定食 40ルピー = 80円 (日本の定食が400円)
安宿 250ルピー = 500円 (日本のカプセルホテル2500円)
インドの100ルピーは額面で10倍の日本の1000円以上の価値がある。
こう考えると、インド人にふっかけられても、気持ちいいです。
・目的
実は2008年の11月に航空会社のマイルでインドの往復チケットを手配して、当日空港まで行ったら、ビザがないので飛行機に乗れなかったんです・・・。インドはビザがないと入国できないことを知らなかった。とにかく私は、地球の歩き方があればどこでもいけると思ってました。そのチケットは一年間有効期限付きなので、今回をキャンセルしてもらい2009年の11月までならいつでもいけることになり、2009年5月に再度ビザを取って出発。
インドへ行く理由は、デカン高原とそこにある遺跡を見たかったから。
他には、異国の建物・開発されていない田舎を見たかったからです。
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