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この町は、どうも一人が落ち着くので、ゆっくり思考する時間があった。
このインドの旅行中、新しく気付いたことや、忘れていたことがいくつかあった。そのほとんどが、シンプル・簡単なことが多かった。
私は日本ではメディアに流され周りに流され、ややこしいどうでもいいことを深く考えすぎていたのだと思う。
そう思うと、日本に帰ってやりたいことやるべきことがはっきりしました。
今日がインド最後の夜、ちょうど日本に帰りたくなってきました。
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風邪気味で昨日の夕方から、ベッドでダラダラしてました。たまたま泊まったホテルに、世界の神という内容の日本語の本があり、読んでました。私は寺と神社の違いを知らなかったほど、神に関しての知識・経験がなかったので、この本はほとんど理解できず。
ただ、これからは知る努力をしていこうと思う。
対岸から昇る朝日失礼しました・・・。
んっ! 水泳大会!
この町は夜になると、薬物の密売人がウロウロしていて、それに群がるのが日本人。ここにいいる半分以上の日本人はそれ目当てです。
そういえば、ここで15歳の韓国人の女の子に会った。彼女は中学を卒業したところで、今年の4月から3年間1人で世界を旅すると言っていた。えらい事になってます。
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朝、電車で起きたらどこかの駅、歯磨きしに水道に行ったら目的地のベナレス。慌てて荷物まとめて、電車から降りる。今回の最後の町は、ヒンディーの最大の聖地。ここで死ねば解脱できる都といわれており、この町は別名【大いなる火葬場】。
この町には、露天の火葬場が2つあり、【死を待つ人の家】が数十個あるらしい。死んでから火葬場に来るのではなく、ここで死ぬ為の家。
対岸で煙が上がっているのが火葬場。
全員が火葬されるわけではなく、子供・妊婦・お金のない人は遺体に重りを縛り付けて、そのまま川に流される。もちろん、ひもが腐ったり・重りが取れたりして遺体は浮かんでくる。それらは、火葬場の対岸(写真の手前の川岸)に上がる。
私は、初めそんな予備知識もなく、ただ対岸から町を眺めようと思い川を渡った。町を見ながら川岸を歩いていると、一体の死体が目に入った。はっと辺りを見回すと、大量の死体が並んでいた。
この町は死との距離がいつもより近すぎる。
いつも死との距離が遠すぎるのかもしれない。
この聖地は、今までの町と違う。
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今日も、タイトな一日です。
まずは、ホテルのカウンターで爆睡してる係のインド人をたたき起こします。インド人は寝起きが悪いので、遠慮してたら電車に乗り遅れるので、遠慮無しです。
5:00の電車に乗るため歩いて駅へ。途中、昨日一緒に飲んだ仙台の方と会い、行き先は違うがたまたま同じ列車。列車は始発なのに1時間遅れる・・・。仙台の方は、数日前にインドに入ってこれから数ヶ月インドを旅するらしい。10年前にもインドに一年ほどいて、今回で3回目。インドでつまらない町は、ニューデリーとアーグラーとベナレスだそうです・・・。今から行くところです・・・。私も、うすうす感じていたが、ジャイプール以降インド人と話す内容がお金の話ばかり。子供も全く遊んでくれない、寄ってくるのはプロの営業のインドの方ばかり。期待せず次の町へ行きました。
昼前にアーグラーに到着。ここはダージマハルがあり、インドで観光客が一番集まるところ。インドで一番客引きのプレッシャーが強い所と思い覚悟して駅を出る。が、あまり人がいない。リキシャーに乗って、ダージマハルへ。
まさかの、休業日・・・!
「ハロー、ジャポニーズ」
この少年、ホモ君。
ホモ君が、「僕は中に入れるから、カメラを貸してくれたら、ダージの写真を撮ってきてあげる」と。30%ぐらいカメラ盗まれるかなと思いながらも、貸してみることに。
しかし、ホモ君は10秒で警備員に怒られて出てきた・・・。
これがその写真。ホモ君はただ写真を撮りたかっただけ。それからホモ君に付きまとわれる。ホモ君のお姉さんが働いているレストランでランチを食べさせられる。夕方にはアーグラーを出ると言うと、ホモ君が「後ろからダージが見えるから」とお姉さんに私のバックを預かってもらい、ホモ君についていく。ホモ君は、すれ違う子供達をみんな私に紹介してくれ、最後にいい奴だからチップを渡しなと言ってくる。1ルピー2ルピー渡していたが、子供同士が連絡を取り合っているかのようで、わいて出てくる。川の所でホモ君がおじいちゃんを呼んでくれて、いかだで川を渡してくれた。
向こう岸から見たダージ。
世界遺産に向かって、裸で飛び込むホモ君達。
全て白大理石のダージ、1653年竣工。ドームの高さは65m。
やっぱり中から見たいなぁ・・・と思い、また来ようと・・・。ホモ君にさよならして、歩いてバスターミナルへ。
途中にあった赤い城塞、有名な世界遺産らしいけど、もうお城は十分見ましたので、結構です・・・。
次の列車には、ここから30kmは離れた駅までバスで移動。
駅では電車が遅れに遅れ5時間ほど待ちました。
鞄の中には、電車で食べるお菓子が一杯・・・。
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今日は気合を入れて一日中デリーを歩きます。
建築物も見て回りますが、一つ探し物が。私がとても共感する言葉、マハトマガンジーの【七つの罪】です。
この場所は、1948年1月30日ガンジーが暗殺された場所。
BIRLA HOUSE。
足跡は、ガンジーの最後の足跡。
このとき、15分ほど激しい雨が降った。インドで初めての雨。
お墓
ありました。
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再び寝過ごして、バスの車庫で目覚める。私が気持ちよく寝ていたので、そっとしておいてくれたのかな。
まずホテルをとる為、バックパッカーの多いメインバザールへ。今後の予定を決めるため、日本人の集まりそうな所へ行こうと思い、日本語でパヤールと書いてあるホテルをとる。もともとインドへは、デカン高原に行くことが一番。次には南インドか北インドか迷ったが、熱かったので北へ。北インドはムガールの建築物と、コルビュジエとジャンヌレの都市チャンディーガルと、皆のお勧めガンジス川のバーラーナシー(ベナレス)へ行くつもりでした。
この日は、電車やバスや飛行機の時間を調べチケットを手配して、予定を確定しました。インドでは特急列車はいつでも予約がいっぱいで半月前には予約しないと取れないとのこと。あてにしていた電車が使えず、バスでは距離があるので、飛行機に乗ることに。飛行機は値段がちょっとお高く、15000ルピー。日本円も全て両替して、結局一番メジャーでぎりぎりまで回れるコースに決定。明日は一日デリー、翌日は早朝から移動してアーグラーでダージマハル、その日の晩に電車でベナレスに移動してガンジス川で3泊し最終日に飛行機でムンバイに戻り、そのまま日本へ帰ります。
この日の晩は、日本語のメニューのある店で、この日に知り合ったテレビ局の堤君と同じ建築士の北脇君と三人で乾杯。偶然、ジョードプルで会ったスケ君にも再会し、この日は皆で旅行話を延々と深夜まで・・。
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4:00頃ジャイプールに到着し、チリの女の子二人とさよなら、一人駅でチャイ飲みながら日の出を待つ。
今夜は、夜行バスでデリーに向かう予定なので、シャワーと荷物を置いておく為、ホテルへ。
早速、この町の目的のひとつ【天空の城アンベール】へバスで行く。
アンベール城の門
下に見えるのがアンベール
上から見たアンベール城
50℃以上の暑さの中、緑のない荒れた山を2時間ちかく登って、たどり着いたのが緑に茂った木と芝生の天空庭園。
次に市街地へ。この門が、ジャイプール(ピンクシティ)への入口。この町は、高さ6mのピンクの城壁(総延長10km)に囲まれた町。
風の宮殿
古代の天体観測所
風の宮殿から町の眺め
これはヒトリキシャー、インドのタクシーです。この人たちのセールスは一流です。まずは私が歩いていると、「俺にのらないかい?」とすぐに声を掛けてきます、「歩いて行くから、No Thank you」。次は私が他のリキシャーから降りた所を、すぐに何人ものリキシャーが「次は俺にのらないかい?」と声かけてきます、「今降りて目的地着いた所だから、みなさんNo Thank you」。すごい奴はリキシャーに乗っている所に、「俺に乗らないか?」と声を掛けてきます、「いやいや、今乗ってるし!」
牛車
フルーツ屋。1バナナーは、1ルピー。1マンゴーは、3バナナー。
馬車
像タクシー
インドのバスは、乗客が少ないと出発してくれません。
喧嘩
サンセット。
朝から晩まで歩き続けた、インドの町歩きが上手になってきた。
今からシャワー浴びて、夜行バスでデリーに移動します。
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時計はないので、時間はわからないが、昨日はとても長い夜でした。
実は、昨日出発前にガイドに「今晩砂漠でお酒を飲みたいか」と聞かれ、「飲みたかったら酒を買ってくる」と言われ、私はお金を渡しました。そして、途中で来たガイドの友達は、砂漠の密猟者(スナイパー)で銃を所持してました。ガイドと友達は砂漠で猟をして、捕らえた獲物で酒盛りをするつもりでした。しかし、獲物があまりいなかったのか、スナイパーの腕が悪かったのか、獲物は何も取れ捕れなかった。そして夜の食事が済みウォッカを飲み干した後、ガイドに「もっと酒を飲みたいか」と聞かれ、「飲みたかったら、今から酒を買いに行く」と言われ、さらに「肉は食べたくないか」と言い出した。私も飲みたかったし、NOともいえず、お金を渡しました。そして二人はラクダに乗って、闇の中へ消えていきました。
始め私は、一人きりのすばらしい月の砂漠を、写真撮ったり歩いたり寝転んだり・・・満喫していました。それから、2時間ぐらい経っただろうかわからないけど、まだ酔っ払いのインド人二人が帰ってこない。そう思うと、一人きりの夜の砂漠ほど恐ろしいものはなかったです。その後、インド人二人が歌いながらラクダに乗って帰ってきました。とても上機嫌・・・間違いなく、インド人二人は町で一杯やってきてます・・。しかも「コッコッコッコ・・・・」鳴き声がします、ガイドのインド人は生きた鶏を持って、「今夜はチキンパーティー!」と・・・。結局、硬い鶏の肉とソーダ割りウォッカ飲みながら、三人で歌い酔っ払って寝ました。
眩しくて起きて、あわてて撮った朝日。
伸びる影
朝になっても酒がぬけてないようで、インド人も朝からラクダに乗って歌いっぱなし。無事に町までたどり着き、ガイドたちとさよなら。
ホテルに着いたら、すぐにシャワー。
今日は、6月8日。6月16日の夜には、ムンバイ空港に戻らなければならない。残り時間は八日間。このままこの町で砂漠で遊んで、ゆっくりムンバイまで戻ろうかとも考えたが、とりあえず一度デリーに行くことに。デリーまでの通り道に、ジャイプールと呼ばれる町があり、そこに寄って行く事に。結局、ムンバイから遠ざかるし、予定も白紙のまま。
ジャイサルメールは左【西】、ムンバイは下【南】、デリーは上【北】。
とりあえすジャイプール行きの列車を予約する。2時間リキシャーにガイドをお願いし、砂漠の道を走ってもらい、砂漠とさよなら。19歳と町へ行きたっぷり食事をとって、19歳とさよなら。駅へ行く。次の目的地のジャイプールは、早朝に到着予定で終点の駅ではない。だから、自分で降りないといけない。インドの列車はよく遅れるから到着時刻はあてにならないし、アナウンスは聞き取れないし、暗いと看板も読めないし、朝早いと隣の人に教えてもらうのも悪いし、そもそも起きる自信もない。半分あきらめて列車に乗ると、ラッキーなことに、ジョードプルで会ったチリの女の子二人が同じ6人部屋。彼女達は今日ラクダに日帰りで乗って、これからデリーに向かうとの事。明日、ジャイプールで起こしてもらうようお願いし、夜は三人で話をして寝る。
世界の車窓からみたいな、綺麗な荒野と夕日でした。
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ON THE CAMEL です。
CAMELの顔
彼が砂漠のガイド、彼と二人で砂漠で一泊。明日まで私の命は彼の物。彼を怒らせたときには、私はこの砂漠の砂になります。
昼の休憩中。昼過ぎは、危険だから日陰で待機。サウナの中にいる感じ、熱気で呼吸する事も嫌になる。日陰を出て1分歩くと、くらくらしてまっすぐ歩くことすらできない。地面もやけどするほど熱い。
白シャツの男がガイド。迷彩服の男はガイドの友達。
ガイドの友達は、砂漠のどこからか現れたスナイパー。
大きな鳥。
日陰で休憩中のらくだ
ヤギか羊か忘れた・・・。
馬みたいな動物、名前忘れた・・・。
放牧。
砂漠の井戸
インドにきて四日目にインド水を飲んで以降、何を食べても何を飲んでも大丈夫な体になりました。おかげで、砂漠ではどんな水でもガブガブいけました。
砂漠の太陽
砂の上で、ジャンプ。
夕日。よく見ると真ん中に・・・。
ラクダも食事中。後ろから月。
今日の晩御飯。カレーとソーダ割りウォッカ。
インド人はウォッカ好き。
赤月光
青月光
月光
月とラクダ
今日の寝床。砂の上に布がおいてあるだけです。フラッシュ使用。
夜は思ったほど寒くなかったです。というより砂漠のシーズンは冬。冬だから夜は寒い、この時は灼熱の6月です。この日は幸い、風も弱く過ごしやすい夜でした。ただ気になったのが、寝てるときに獣が来たらどうしようとか、朝起きて一人だったらどうしようとか、考えてしまいます。
音は風だけ、光は月だけ、360度地平線。すばらしい世界でした。
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これがジャイサルメール(ゴールデンシティ)です。
本当、砂で作られた町です。
子供たち。
ホテルの19歳の従業員に、オススメの丘に連れて行ってもらいました。
これが、本当のゴールデンシティなのかも。
この日の晩も、19歳と語り合う。彼は、すごい田舎から出稼ぎに来ている。月収は1500ルピー、日本円で3000円。彼の一年の労働は36000円、10年で36万円。同じ人間でこの差はなんなんだろうと思うけど・・・。やはり、あの紙切れの紙幣(マネー)で世界は動いており、世界を動かしているのは、マネー(お金)を作っている人たちだということ。あの紙切れに、価値があると世界中の人を信用させてる事は、歴史上最大の詐欺?・・・。
さて明日はいよいよ、砂漠へ。
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朝から子供の声でおきて、ホテルの前で遊んでいると、日本人の旅行者のスケ君に会う。スケ君も30歳で一人放浪中。彼はここより西の砂漠の町から来た様で、砂漠でらくだに乗れるとの話を聞いて、ノープランだった私は次はそこへ行くことに。
地図で見ると砂漠の町まで300kmぐらい、多分砂漠の道は景色がいいだろうと思い日没を砂漠で見れるバスに乗ろうと思い昼に出発することに。それとこのホテルは居心地がよく、なかなか出られなくなりそうなので、思い切って出発することに。
サダム達とサヨナラ、ここにはまた必ず来ようと思った。
次の目的地はジャイサルメール(ゴールデンシティ)。パキスタンの国境沿いの町。スムーズにバスに乗れ、予定通り出発。
電車、インドの踏切は10分ほど待ちます。
すれ違ったバス。
夕日。砂漠の荒野を走ってきました。
夜にジャイサルメールに到着。客引き捕まえて、すぐにホテルへ。早速らくだに乗りたいと交渉したら、明後日の朝にインド人と二人でらくだで出発して砂漠で一泊して帰ってくるキャメルサファリツアーに行くことになりました。
この日はホテルの19歳の従業員をつかまえて、町へ買出しに行きホテルで食事をして夜まで付き合ってもらいました。今は暑すぎてオフシーズンだから、暇なんだと。
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今日は、今も現役でマハラジャが住むパレスへ行くことに、目指すは下の写真の真ん中の宮殿。マハラジャとは、超富裕層の貴族。
徒歩で2時間歩き続けて、やっと到着。しかし、見学はできないとの事。ここで日本から持ってきたシャツとネクタイをして、どうしても入りたいと言ったら、ホテルに泊まるか食事をするなら入れるとの事。一番安いのを頼んだら、3000ルピーのブレックファストとのこと。日本円に換算して6000円の朝定食。今泊まってるホテルが一泊150ルピー。
やっと門が開きました。ヨーロッパの建築家の設計だそうです。
本物のインド人です。
テーブルからの眺め。
正面がホールです。常に右後ろと左後ろに二人ボーイがいて、なんでもしてくれます。私の右手と左手のように。お客さんは私と他に一組のインド人の家族。
インドの大きな格差社会を感じました。
帰り道にあった子供たち。
ホテルに戻ると、ホテルの前のストリートで子供たちが、子供らしく遊んでいる。近所のおばあさん達も家から出てきて、子供たちを笑顔で眺めて。子供たちがクリケットを始めると大人も入って、私も誘われて。この地区は快適ではないし貧しいけれど、インドで見た一番羨ましい光景でした。やっぱりこういう子供たちと一緒にいることが、大人にとって一番幸せなことじゃないかなと思いました。
ホテルの近所の子供たち、左がサダム。サダムは11歳で、賢い少年。私の後を着いてきて、地球の歩き方を見ながら日本語の勉強と、いろんな話を聞きたがる。旅行者から教えてもらったようで、サダムは数ヶ国の言葉をしゃべる。サダムはもっと勉強したいし、いろんなところへ旅行に行きたいと。将来何をしたかと聞いたら、父と兄とホテル経営をすると。そういえば、シャルマンも父と同じリキシャーの運転手だった。多分、やりたい事に挑戦する以前に、いろんな物を見る機会がないんだろうなと思った。その点、私は恵まれている。
その日の晩は、南米のチリから来た女の子二人と、乾杯。2年ぐらい旅をし続けているらしく、日本でも働いて資金を作って旅行しているとの事。半分ほどしかわからなかったけど、いろんな国の話をしてくれた。最後にチリはインドのように物価が安く、お酒もご飯もおいしく、綺麗なところでおすすめだと。今度の私の一人旅は、メキシコから入ってチリまで南米の遺跡を見ながら南下していくコースへ行こうと思いました。
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これがジョードプル【ブルーシティ】、砂漠の町。
拡大!インド人が好きなポーズです。
サリーの女の子。
右に見えるのは砦。とても埃っぽい町。
浮かんで見えるのが、メヘラーンガル城。
泊まっているホテルのオーナーの娘。
オーナーの息子と友達。私は今クリケットの守備をさせられている。
この晩、同じホテルでインドに来て初めて日本人と会いました。私と同じ年で、料理人としてずっと働いていたけど、最近辞めて今世界一周中、日本に戻ったら自分の店を出すんだと。この晩は二人で町にお酒を買いに行き、ホテルの屋上で乾杯。
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朝6:00にウダイプルへ到着。ここへは電車なので、到着した位置もわかっており、5kmほど歩いて市街地へ。ウダイプル(ホワイトシティ)は、砂漠地方には珍しく湖がありインドでも有名な避暑地。
前の町で暑い中歩いていたら、上の写真を見つけました。【レイクパレス】湖に浮かぶ白い城。近くだったので涼む為に、この町に寄りました。
この町は長居するつもりはなかったので、すぐに今晩のバスのチケットを予約して、チケット屋のお兄さんにチップ払って荷物預けて、レイクパレスを目指しました。
レイクパレス見つけました。どーやら、乾季で湖の水はないようです・・・。
となりのシティパレスのランチです。ここは宿泊は2万ルピーぐらいするそうですが、ランチは700ルピー。久しぶりのまともなブラックコーヒー。
バスの時間は20:00なので、午後からは、いつもぼったくられているリキシャー(原付のタクシー)に交渉して、20:00までガイドをお願いしました。結局、私より若い少年でシャルマン君が300ルピーで引き受けてくれました。シャルマンはすぐに観光地に連れて行くので、シャルマンの家とか行きつけの店とか学校に連れて行ってもらいました。シャルマンの家は、めっちゃ汚かったですが、奥さんと娘達を紹介してくれました。シャルマンはいろいろ教えてくれ、実はローカルプライスとツーリストプライスがあるとか、いつも私が5ルピー以上で飲んでるチャイは1ルピーで飲めるとか。あと10本で1ルピーのタバコをくれたりとか、本当におじいちゃんが葉っぱで撒いて作っていた、思ったよりおいしかった。
最後に30分以上かけて、山の上の夕日を見せてくれました。
今夜は寝台バスで、明日にはジョードプル(ブルーシティ)。
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この日は、名所へ観光
マハトマガンジーの活動拠点。
井戸② 両方とも500年以上前です。深さは20~30Mありそうです。
夏のインドは、朝と夕方外にでて、昼は日陰にいるのがオススメです。昼はインド映画を見ました。インド人が終始ダンスをしてる映像でした。とても映画とは思えない内容でした。
駅の構内の様子。夜10時過ぎ。この駅は明るくとても綺麗。
初めてのインドの寝台列車、自分の席を探すのに一苦労です。一番安い席なので6人部屋、前と後に三段ベッド。2段目のベッドで横になる、上も下も横もインド人、とても落ち着かない・・・。乗り物の中は、まだ怖くてカメラは出せません。目的地は終点なので、起きたら着いているはず。
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